第1番 伊豆神社
遠野三山誕生はここから 来内地区は、上郷町から繁華街遠野に出る近道だが、人家まばらな地域である。その奥まった一隅に、伊豆神社はひっそりと佇んでいる。古くは伊豆権現と呼ばれ、大同年間(八〇六―八〇九年)に早池峰を開山した続きを読む第1番 伊豆神社[…]
遠野三山誕生はここから 来内地区は、上郷町から繁華街遠野に出る近道だが、人家まばらな地域である。その奥まった一隅に、伊豆神社はひっそりと佇んでいる。古くは伊豆権現と呼ばれ、大同年間(八〇六―八〇九年)に早池峰を開山した続きを読む第1番 伊豆神社[…]
堂内に三神石像を安置 神遣の語源は、その昔女神達が早池峰、六角牛、石上(神)の三山に、ここから別れていったとの伝えによる。堂内には石に彫った、三人の女神像が安置されており、慈覚大師の開基という。 伝説によれば市内東方に続きを読む第2番 神遣神社[…]
末寺20社持つ格式 鳥居、山門をくぐって神殿まで、およそ百メートルはあろうか。たどる両側には杉、桧などの老大木が鬱蒼と続く。昼なお暗い、古色蒼然とした神殿への道である。 大同元年(八〇六年)春三月、来内村の四(始)角続きを読む第3番 早池峯神社[…]
六公大人が地名となる 大同年間(八〇六―八〇九年)六角牛山を開き、その神霊を祀ったのが始まりという。一説によれば、「ろっこうし」の地名は、六公大人から出ており、六人の高貴な人が、古くに中沢村(現青笹町中沢地区)に来て、続きを読む第4 番 六神石神社[…]
古くに餅取り神輿洗いが 昔は餅取り、神輿洗いの神事があったが、今はなくなった。餅取りは三つ重ねの餅を神前に供え、祭式が終わると、餅を神輿に入れて近くの川に奉賀する。途中東西に分かれた若者達が、餅を奪い合うのである。取っ続きを読む第5番 石上神社[…]
観音像安置する自然浸蝕窟 早瀬川の源流、上郷町細越の沓掛地内。石灰岩地帯に発達した浸蝕洞窟で、坂上田村麻呂が観音像を祀ったという伝承から、早瀬観音窟とも呼ばれる。一説には中世に、現在の遠野、釜石地方一帯を支配していた、続きを読む第6番 沓掛観音窟[…]
「お神明さん」が通り名 この地方の人は、伊勢両宮神社の名称ではピンと来ない。「お神明さん」と親しみを込めて呼んでおり、天照大神、豊受大神を祀る。最初の領主の頃に勧請されたが、阿曽沼氏の没落等で荒廃、再興と修復を経て、正続きを読む第7番 伊勢両宮神社[…]
市内外から衆人呼ぶ例大祭 「お八幡さん」―。遠野郷の人々は、年に一度のこの大祭を、こう呼んで待ち受ける。阿曽沼氏時代の建保年中(一二一三―一二一九)に創建。南部氏治世の寛文三年(一六六三)現在地に遷宮し、八百二十年以上続きを読む第8番 遠野郷八幡宮[…]
遠野南部始祖五世が守り神 いわゆる、呼び名は「南部さん」である。明治九年(一九七七)七月、明治天皇が東北巡幸の際、南部氏五代の勤皇の事蹟を聞き届けられた。その際南朝よりの綸旨、刀鎧を叡覧なされ、保存料を賜った。これが契続きを読む第9番 南部神社[…]
筆字上達祈願「おもんじゅさま」 祭神は、瀬綾津姫命、下照て姫命の二女神を祀る。もとは文殊菩薩を祀り、「おもんじゅさま」と呼ばれた。例祭日は旧暦の七月二十五日で、古来遠近の学童が、白紙に大文字を浄書して奉納したという。そ続きを読む第10番 倭文神社[…]