第29番 宮守観音堂

29_01

寺山号は風流な月見山

 
草創は、大同二年(八〇七)、寺山号を月見山平沢寺という。 本尊は千手観音で、嘉祥四年(八五一)慈覚大師が諸国巡業 のときに、この地方で一木をもって、七体の観音像を彫刻し たものの一尊である。後に堂が火災にあったものの難を免れ た。ところが御堂再建の際、埋葬のつもりで、山中に埋めた という。
 
今の尊像は、後人の作といわれる。観音堂は江戸後期の建 築とされ、資料では嘉永六年(一八五三)とある。廃仏毀釈 の明治初年、愛宕神社と併合改称し現在に至っている。今に 残る宮ノ森観世音菩薩由来書は、史実を記した資料で、裏に 施主講中二十二人の名が印されている。祭日は、愛宕神社と 同じ、八月二十四日に営まれる。

29_0229_03