第26番 山谷観音堂

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赤い鳥居、杉林参道奥に

 遠野観音第一番札所。小友町の町場から鷹鳥屋川に沿って上流に辿り、間もなく農道を太田方面に折れる。右方向に赤い鳥居が目に入り、そこが入口で正面、山際の杉林参道奥に社殿が現れる。慈覚大師が斉衡元年(八五四)、自作の十一面観音像を安置したときを草創とする。この観音堂が、世に知られるようになったのは、南北朝時代である。もとは大慈山長福寺と号し、二十四坊を有する、天台宗の大寺であったという。
 元禄四年(一六九一)、前年に再興した観音堂が全焼、尊像が焼損して宝物が失われた。同十二年(一六九九)観音堂を再建、寛保二年(一七四二)には、京都から十一面観音像を求めて安置した。これが現在に続いている観音堂と本尊像である。明治初年に観音堂の西側にある経塚から、天正十二年(一五八四)銘の金銅製経筒が発見された。祭日は旧七月十日から八月十日に変わっている。

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