第18番 金ケ沢稲荷神社

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江戸から庭師招き庭園造成

 金ケ沢神社より、圧倒的に村兵稲荷の呼び名で知られている。文政元年(一八一八)、遠野の豪商村上家当主が、創建の先立ちになって寄付を募り、この地に建立した。その際江戸の庭師を招き、みごとな庭園を完成させた。いまは朽ちたが池には鯉が泳ぎ、その偉容は近隣の崇敬を集め、往時の例大祭には五百人余の参詣があったといわれる。
 京都から正一位稲荷大明神の御神体を勧請した。それには笈に入れ、当主自ら遠路を背にして運んだという。そのとき公家で従二位、権大納言実俊の御真筆を賜り奉納、五穀豊穣と家運隆盛を祈願している。時代と共に村上家は離散。昭和二十九年から金ケ沢集落が、地域ぐるみで管理に当たっている。茅葺屋根の銅版化等、老朽化した社殿の修復も行なわれた。近年には神楽殿の造営も完成。地域活動の核にもなっている。

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